ミソフォニアと私の軌跡

小学時代

中学年くらいにミソフォニアを発症しました。

きっかけは、母親に「中耳炎になるから鼻をすするのをやめなさい。」と言われたことだと記憶しています。

母親にそう言われてからは鼻をすするのをピタッとやめました。

塾で友達が鼻をすすっているのを聞いて激しいいらつきや怒りを覚えてから、今に至るまで感情のコントロールができていません。

引っ越し先の隣の家が飼っている犬が一日中吠えていることにも腹が立っていましたが、これは今のミソフォニアの症状と同じかはっきりとは思い出せません。

当然授業中に鼻をすする人もいましたが、なんとかやり過ごせていました。

中学時代

やはり授業中の鼻をすする音がきつかったですが、人間関係が良好だったので地獄ではありませんでした。

高校時代

地元を離れ、寮制の高校に入学しました。

高2くらいから授業中に耳栓をするようになりました。

不思議に思う友達もいたようです。

人間関係は良好で、楽しい寮生活でした。

大学入試(現役時)

鼻をすする音で全く集中できませんでした。
受かったか落ちたかは半々だなと感じていました。

浪人時代

1点未満合格点に届いておらず、不合格だったので浪人しました。
実力的には合格圏内にあったので、音のストレスから逃げるために予備校の授業には出ずに遊んでいました。

大学入試(浪人時)

耳栓を持参しました。
注意されるかな、とヒヤヒヤしていましたが、特に何も言われませんでした。
今回はセンター試験も2次試験も余裕でした。

学部時代

ギュウギュウ詰めの大教室は鼻をすする音がひどく、最悪でした。
ほとんど授業には出ず、家でゲームをして過ごしていました。
2年生のときに1単位足りずに留年しました。

このあたりから段々と人間そのものに対する苦手意識のようなものが芽生えていったような気がします。

大学院時代

最悪でした。
中国人留学生が私の苦手なありとあらゆる音を出すのに耐えられませんでした。

教授からは「このままだと卒業できないよ」と何度も研究室に来ない理由を問われましたが、本当のことを言うことができませんでした。

結局最後の2か月集中的に研究することでなんとか卒業できましたが、私には修士の資格はないと思います。

1社目

初日からこれからの社会人生活が思いやられる生活が始まりました。
まず、同じチームのメンバーの1人が今まで聞いたことのないようなうるさい咳払いを何度もする人でした。

1つの居室はそこそこ大きいのですが、そこに所狭しと数百人もの従業員が詰め込まれているうえ、机と机との間にパーティションも何もないので、その人や他の島の人のうるさい咳払いが丸聞こえでした。

最初のうちは耳栓をしていたのですが、耳栓は咳払いの音を防ぐことができないので、そのうちイヤホンをしながら仕事をするようになりました。

そのため他のメンバーとコミュニケーションが取りづらかったですし、1人だけ音楽を聴いている私に対して良くない印象を持っているメンバーはいたと思います。

そのうち出勤時に腹痛がしたり涙が出てくるようになり、退職前に半年ほど休職することになりました。

2社目

今後数十年同じ会社で働くことが考えられなかった私は、別の会社を見てみることにしました。

今考えればどこに転職しようがアジアである限り嫌いな音を出す人はいるのですが、前より酷い環境はないはずと信じ、7割くらいの年収の会社に転職しました。

音のストレスは前の会社よりは「多少」マシだったものの、年収が大幅に下がったことや、当初聞いていたのとはかけ離れたやりがいのない業務内容だったことから、モチベーションを保つことが不可能でした。

入社して半年の時点で絶望感が襲ってきていたのを覚えています。

3社目

2社目は1年半ほどで辞めましたが、「もう転職は最後にしよう」という意気込みで3社目を迎えました。

今回の転職活動では自分がミソフォニアであることを早い段階で自分から打ち明けました。

そして悩みに悩んだ結果、社の人数が少ないうえ非常にオープンで色々な対策を講じてくれそうなIT系のベンチャー企業に就職することになりました。

しかしダメでした。

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